2012年7月31日火曜日

原発と南北問題



私は、つい最近、次のようなお便りをもらいました。
「私は、311までの無知を悔いています。無知を恥じると同時に、無知であることは罪深いとも思っています。原発については、事故が起こってから危険を知るのでは取り返しがつきません。」
そして、続けて次のように言われます、「正直に言うなら、岩崎さんのいう南北問題もまた、私の未だ見知らぬ問題です。南北問題については、私のこれまでの生き方の中からは、アタマで理解できたとしても実感をともなうまでには至らないのです。これを「知る」とき、知らずにいる現在のことを悔いることになるのかもしれません。」

私は正直、このように言われる方に対して、心底頭が下がるし、また心底、勇気をもらいます。「原発」があるのは、「南北問題」があるからです。これ以外、何物でもありません。「南北問題」を解決しなければ、「原発問題」を解決することはできないのです。決して「原発」が先にあるのではなく、これは、あくまで支配する手段なのです。開発途上国にはいまだ大きな富が眠っており、それを利用したいのです。原発反対を推し進めていくのに障害となるのは、日本人すべて大なり小なり、この途上国を利用した利益に既にあやかっているし、今後もそれを捨て去ることが難しいからです。

しかし、不幸なことに、この方が言われるように、先進国人、つまり、日本人、アメリカ人、イギリス人、フランス人などの先進国人は、「頭では理解し得ても、実感を持っては理解できない」のです。それは、あたかもかって民主政治を作り出したといわれる古代ギリシャ人が、眼の前にいる人間を「奴隷」としか理解できなかったように、先進国人にとっての「開発途上国人」は、奴隷としてとまでは言わないものの、少なくも「人間」としては理解できないのです。ここが最大の問題です。この人たちと関係のない毎日の生活を送っておられる方なら、何をかいわんやですが、現代先進国人は今日食べたもの、今日着たもの、今日排泄したもの、あらゆる意味で深い関係がある海を越えた途上国の人々を、「人間」として認めていないのです。
このことは、この方が言われるように、あとになって明らかに「悔やむべき」問題です。きつい言い方ですが、あとになって「恥じ入るべき」問題です。
この問題に対する解決方法は、以下の二つであり、これ以外の解決方法はありません。一つは、途上国に行って、原則として英語を話す人ではない、普通の人々とできるだけ会うこと、たとえ言葉を交わすことができずともニコニコと笑顔を交わすこと。(精神循環の拡大)もうひとつは、自分の食べるものは、たとえほんの少しでも自分で作ること。(物質循環の縮小)このように努力すれば、かならず、わずかな光が見えてくると思います。
参考になる本として、筧次郎著「自立社会への道」発行:新泉社

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