人間が見ている外界とは、外界そのものではなしに、外界の中のわれわれの<意味>である。<意味>で形作られた世界だけが、唯一われわれの生きている現実に他ならない。(Jokob von Uexkul (1864-1944) : 「生物から見た世界」より)
私が道を歩いているとき、突然犬が飛び出し、激しく吠えたてたので、とっさに道端の石を拾い犬に投げつけた。この時、その石は、突然、私の「意味の世界」に入ってきたのだ。さもなくば、その石は、永遠に私の意識の外にあって、その存在さえ気がつくことがなく、まったく「存在しない」に等しかった。
人は、五感を通して対象を「認知(perception)」し、それをイメージとして頭脳に「蓄積(file)」し、そのイメージを操作して「思考(consideration)」をめぐらし、そのイメージを結合して「創造(creation)」する。人は、イメージに沿って「行動(action)」し、イメージを互いに交換して「コミュニケーション(communication)」を行う。
人の人としての中枢に「イメージ(image)」があり、お互いのイメージを確認することによって「共感(sympathy)」する。人は、形、色、音、味、匂いなどの「物理的環境」を認知し、その認知した内容を人と交換して「社会的認知」を行い共感し、否認する。このようにして、この人の「意味の世界」は広がり、他の人と緩やかに交換、交差しながら、同じように外界を認知するに忙しい「ネコの環境世界」や「鳥の環境世界」と楽しげにふれあいを重ねていき、全体がスパイラルに展開していく。